小林國雄さんにインタビュー
- 盆栽美術館 館長の小林國雄さんにお話をうかがいました。
- 高村雅子
- 盆栽妙 店長
- 更新日:2022/8/25
- 投稿日:2022/8/25
- 盆栽園
盆栽美術館 館長の小林國雄です。
おかげさまでメディアに取り上げられ来場者が増え1日に2?300人来ることも。毎日、園内で来場者のおもてなしをしていますが昨年は忙しく、9カ国を行脚しました。
世界の盆栽を見て感じたことですが、特にイタリアはレベルが高いですね。またスペインやイタリアなどはオリーブの盆栽も多く、その土地柄の樹種でうまく盆栽づくりをしており独自の盆栽文化を形成していました。
海外でも山取りは盛んなんですね。 最近では盆栽を世界文化遺産に登録すべく、活動しています。現在6万人の署名を集めました。盆栽の発祥は中国ということもあり、どうなるかわかりませんが、中国で生まれ日本で成熟し完成されたものだと思っています。
小林美術館を建築にあたっては莫大な費用がかかりましたね。現在固定資産税だけでもすごい金額を支払っています。まだまだ頑張らなければいけないですね。。美術館の他に、千葉に1000坪の農場を所有しております。
現在、弟子は6人おり、住み込みで修行しています。独り立ちするには6年ほどの修行期間が必要です。中国、イギリス、メキシコなど世界中から集まり日々盆栽の技術習得に勤しんでいます。園内には数多くの中、大型の盆栽が並んでいます。どれも安くない金額です。多くは外国人が購入していますね。
いろいろと苦労もしてきました。
私はもともと実家が花壇材料をつくっていたこともあり、園芸には馴染みがありました。28歳より盆栽の世界に入り毎日15時間働きました。そしてさつきブームにのって鋏一本で稼いできました。
日本盆栽協会を除名されたり、妬み嫉みでたたかれたり、ギリギリの資金繰りで、電車に飛び込もうと思ったことも何度もありましたが、総理大臣賞など数々の賞を取ることが出来たり、盆栽界でも評価されるようになりました。
ここまで順調に来たわけではありません。美術館を建てる際にも銀行は簡単にはお金を貸してくれませんでした。あの手この手で知恵を使いなんとか建てることができたんです。
これもひとえに妻が支えてくれたから今があるのだと思っています。本を出版する際はかならず巻末に妻の写真を載せています。感謝の気持ちですね。良い職人は良い妻が作るものだと思っています。
今まで妻には苦労をかけました。国風の売店でかなりの金額を売ったが赤字が出て妻に金を借りたことも。国風の会期中は世界中から弟子が集合するのでその世話は全部妻の仕事でした。
今は感謝の気持ちでいっぱいです。
作風にも変化が
ここにいたり、私の作風も変わってきました。今までは売れる盆栽を作っていましたが、今は自分の好きな盆栽をつくっています。
線と空間を生かした風を感じる盆栽です。風趣風位、ワビサビを感じさせる、自然の妙です。そこには人間の作為を感じさせてはならない。そんな盆栽を意識しています。
今までいろいろな人と出会い、支えられてここまで来ましたが、そういったものも作品に反映されているのかもしれないですね。
個性と調和、品位をその樹からどう引き出すか、欠点を長所に変える、この子の良いところを伸ばしてやる。美意識と感性は職人には必要です。それにはやはり多くの人との出会いが必要ではないでしょうか。人は人によって伸ばされるのだと思います。
人生まだまだこれからです。
座右の銘は「可能性への挑戦」
盆栽美術館を建てたのは50才のときでした。同業者には叩かれた。国風展にも拒否された。協会とは裁判まですることになった。たたかれてたたかれて大きくなった。そのおかげで今があります。
この記事を書いた人
- 高村雅子
- 盆栽妙の店長 盆栽家。三重県鈴鹿の田舎生まれ。大学進学を機に大阪に出て卒業後は秘書として企業で働く。結婚して退職、子育てに奮闘。子供も大きくなり、自分の時間が持てるようになったので、かねてより大好きだった植物をもっと勉強するべく、盆栽の世界へ踏み入ることに。同郷の盆栽職人 太田重幸に師事し、盆栽の奥深さを修行した後、自宅で教室を開業。2007年にインターネット盆栽販売店 盆栽妙をオープンし、盆栽メルマガ登録数日本一に。盆栽はじめるサポートに日々奮闘中。
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